2010年01月01日
ただいま、やっと太陽から帰って来ました!スカチューです。
いやー、2ヶ月のご無沙汰でした。私はこの間、静岡県内各地で太陽光のすばらしさを伝えるために、いろんな場所でお話やイベントを行ってきました。

また、工事を行い、お客様の声を聞くたびに、「やっぱりすごい。スカイライトチューブは、これは自然に対しての意識を変えることができる力を持ってる。」と感じるのです。
太陽のエネルギーが地球のエネルギーの根源ですから、当たり前のことかも知れません。
シャープのコマーシャルで、「救うのは太陽かも知れない」という言葉がありますが、まさにその通りでしょう。日本も再度、太陽光発電に力を入れて、政府も補助金を出して国を挙げて後押しするようになって来ました。
電気店でもスーパーでも窓口ができ、自分の身近に感じるところに相談が出きるようになって来ました。
もう、太陽光発電では、「つけなければ損なのか?」ということが判断の基準になってきているように思います。
でも、今のこの太陽光発電の普及ブームに、私はしっくりした感じがしないのです。
なぜなんでしょうか?
去年の12月に、温暖化防止についての、京都会議以降の枠組みを決める大切な国際会議がありました。
結局、まとまりまりませんでしたね。各国が自国の利害を第一の優先に考えた結果だと思います。
環境の問題は国境のない問題です。
でも、それぞれの国は発展の度合いが違います。「先進国」と「発展途上国」の間で、経済性成長率や国民総生産など経済的豊かさを唯一の基準で、それを追い求めることが、国民に対しての正義であるかの様に、政治家が交渉をしようとするので利害がぶつかるのです。

国境のない問題を単一の価値観で序列のつけられた国々が話し合うのです。劣っていると思うところは、今から豊かさの階段を上がろうとしているのに、それに対してストップをかけられるのはたまったもんじゃないと思うのは人間なら当たり前かも知れません。
今、先進国と言われているところも、自国が通過してきたところは棚に上げて、温暖化問題を建前として掲げることで、新しいビジネスモデルを作って経済成長を自国だけは維持していきたいという気持ちがあるからゆずれない。
「成長」することが絶対的な基準になっているので利害が対立するのじゃないかと最近特に感じるのです。
これだけ、時間がない、大変なことになると、マスコミや学者や政治家が叫んでいるのに結局変わらない。
「先進国」「途上国」という言い方も、何気なく使っているけど、しっくりこない。ここには、他人の価値観を認めず自分の土俵の上に無理やりのせてやる。というような、強制力を感じる。
きっと、そんな考え方がお互いにわかるから、まとまらないんだろうと思う。
まず、人間はすべて自分以外には自分にはない価値を持っている、という気持ちを持ってすべての人に接するのが大前提ではないか。
その上でお互いの価値観を認め、その価値観が共生できるためにはどうすればいいか?お互いが気持ちよく生きていくにはどうしたらいいか?
特に「先進国」といわれている国が、意識を変えないといつまで行ってもまとまらないのだろうと思う。
「ゆで蛙」の話のように、気づいたら死んでいたということになりかねない。

そうならないためにはどうすればいいのでしょうか。
また、明日書いてみたいと思います。
また、工事を行い、お客様の声を聞くたびに、「やっぱりすごい。スカイライトチューブは、これは自然に対しての意識を変えることができる力を持ってる。」と感じるのです。
太陽のエネルギーが地球のエネルギーの根源ですから、当たり前のことかも知れません。
シャープのコマーシャルで、「救うのは太陽かも知れない」という言葉がありますが、まさにその通りでしょう。日本も再度、太陽光発電に力を入れて、政府も補助金を出して国を挙げて後押しするようになって来ました。
電気店でもスーパーでも窓口ができ、自分の身近に感じるところに相談が出きるようになって来ました。
もう、太陽光発電では、「つけなければ損なのか?」ということが判断の基準になってきているように思います。
でも、今のこの太陽光発電の普及ブームに、私はしっくりした感じがしないのです。
なぜなんでしょうか?
去年の12月に、温暖化防止についての、京都会議以降の枠組みを決める大切な国際会議がありました。
結局、まとまりまりませんでしたね。各国が自国の利害を第一の優先に考えた結果だと思います。
環境の問題は国境のない問題です。
でも、それぞれの国は発展の度合いが違います。「先進国」と「発展途上国」の間で、経済性成長率や国民総生産など経済的豊かさを唯一の基準で、それを追い求めることが、国民に対しての正義であるかの様に、政治家が交渉をしようとするので利害がぶつかるのです。
国境のない問題を単一の価値観で序列のつけられた国々が話し合うのです。劣っていると思うところは、今から豊かさの階段を上がろうとしているのに、それに対してストップをかけられるのはたまったもんじゃないと思うのは人間なら当たり前かも知れません。
今、先進国と言われているところも、自国が通過してきたところは棚に上げて、温暖化問題を建前として掲げることで、新しいビジネスモデルを作って経済成長を自国だけは維持していきたいという気持ちがあるからゆずれない。
「成長」することが絶対的な基準になっているので利害が対立するのじゃないかと最近特に感じるのです。
これだけ、時間がない、大変なことになると、マスコミや学者や政治家が叫んでいるのに結局変わらない。
「先進国」「途上国」という言い方も、何気なく使っているけど、しっくりこない。ここには、他人の価値観を認めず自分の土俵の上に無理やりのせてやる。というような、強制力を感じる。
きっと、そんな考え方がお互いにわかるから、まとまらないんだろうと思う。
まず、人間はすべて自分以外には自分にはない価値を持っている、という気持ちを持ってすべての人に接するのが大前提ではないか。
その上でお互いの価値観を認め、その価値観が共生できるためにはどうすればいいか?お互いが気持ちよく生きていくにはどうしたらいいか?
特に「先進国」といわれている国が、意識を変えないといつまで行ってもまとまらないのだろうと思う。
「ゆで蛙」の話のように、気づいたら死んでいたということになりかねない。
そうならないためにはどうすればいいのでしょうか。
また、明日書いてみたいと思います。